「ふたつの化粧品会社事件:その後のあきれた対応」へのコメントで、ネガティブな反応が続出していることが気になる。
ハンセン病(およびその患者・元患者=以下「病歴者」)に関する「誤解」については、もともとこの病気が日常生活から伝染することがほとんどなく、また数十年前からハンセン病が「適切な治療により完治する」病気になっていたにもかかわらず、「らい予防法」を制定(1996年に廃止)し隔離政策を続けてきた厚生労働省側に大変重い責任がある。この政策により、すっかり「隔離しなければならないほど感染力が強く、危険な病気」だという認識が一般化してしまい、その結果「一生隔離しなければならない病気であるのだから、一般の施設などを使用することはまかりならぬ」という論理展開が出てくるのは、無理からぬところもある、と認めざるを得ない。
しかしながら、まだ病歴者側からは、特に施設入所をしなかった人にとってまだ充分でない、と聞こえてくるとはいえ、厚生労働省側は謝罪と賠償への歩みを始めた。また、ある程度の自省をこめて正しい知識の普及に努めはじめてもいる。
※参考資料:
中学生向けパンフレット「わたしたちにできること〜ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう〜」(リンク先に5つのPDFファイルがあり、組み合わせると8ページのパンフレットになります。)
これらのことから、次に認識を新たにすべきは、一般庶民の側である。いまさらと言わず、厚生労働省が正しい知識の普及に努めていることを評価し、それを積極的に吸収して、病歴者の差別を排除するよう、ひとりひとりが努めていくことが大切である。ひいては、それが病歴者の社会生活への復帰につながっていくことになろう。
大阪市、全小中学校で習熟度別授業 新年度から順次拡大
(朝日新聞)
ごきげん/習熟度別授業について(1)さんから、前の記事(
「『習熟度別授業』は機会平等への大事な道筋」)にトラックバックをいただきました。教える側からのニーズについてと、実施した場合の効果/逆効果について、学校ごとの条件に留意しながら書き進めようとされていて、今後の展開が楽しみです。ちなみに前の記事は、私がこのBlogをはじめて以来の反響をいただいているのですが、それだけ教育にかかわる方々にとって、重要な問題だと考えられているのでしょう。
さて、私がその記事の中で
できる人はとことん、そうでない人はそれなりにできるように
と書いたのですが、書いた後に苅谷剛彦さんの主張(そうでない人の「底上げ」が重要)、後ほど書評させていただく予定の池本美香さんの主張(親の「教育権」はどこに?)や、参照記事を読ませていただいた上で、前回の記述では不足していたと考える部分を書かせていただきます。
参照記事には「
習熟度別授業」について大変重要な視点が提供されています。たとえば、
昨年実施した小学6年と中学3年の学力実態調査で、成績が二極化する傾向があったことなどから、学習到達度の違う子どもを画一的に指導する弊害を少なくするため、習熟度別学習の本格導入を決めた。
という部分などは、まさに「教育による
階層化社会の進化」に対抗して、「できない人の底上げ」に配慮したものになっているといえましょう。(「できない人の底上げ」には、その次世代での「逆転」を可能にする、という意味も含まれます。)
そして、それよりもっと重要なのは、
授業を楽しいと思ってもらうことが、やる気につながる
という大平和代助役の発言内容です。
児童・生徒に「あほクラス」の屈辱を味わわせることよりも、むしろ「わかる」授業、丁寧な指導を行うことで、子どもの学習意欲を高め、親の理解を得ていくようにする。このことこそ、公教育で「習熟度別授業」をすすめていく上で、もっとも考慮しなければいけない点です。もちろんそのためには、教える側の「学習指導力」向上が欠かせません。教える側にとって、最初はどうしても「試行錯誤」があると思いますが、合同での教育研究などを通して、成功例・失敗例に学び、よりよいかたちを追究していって欲しいと思います。
「習熟度別授業」は、あくまでも授業を受ける子どもたちのためのものであり、それが将来の社会の活力を保ち、次世代への「夢」をはぐくんでいくことへとつながっていく、ということについて、もっと理解が広がっていくべきだ、と私は考えます。