KHOOz NOTEBOOK/無関心の怖さ
(このエントリへの
余丁町散人氏のコメントに対する作者の返答より)
今この国で様々な問題に対して根本的な解決がはかられる事無くなし崩し的に進行していくのは、実は多くの人の無関心のせいなのではないか
道路公団民営化と計画済み高速道路建設の問題も、年金改革も、市町村合併および三位一体改革も、自衛隊のイラク派遣問題も、少子化対策も、すべてなし崩し的に進行している。
先月の総選挙のすぐあとに、「
無関心党」というサイトを紹介する記事(
総選挙を棄権したあなたに……)を書いたが、これらの事柄の「なし崩し的進行」は、まさにその証明にほかならない。
KHOO氏の問題意識は、さらに恐ろしい方へと向かう。こんどはエントリそのものから。
これからこの国でデジタルデバイドが起こるとしたら、それは通信インフラや技術などの外的要因によってではなく、個人個人の関心の強さや、求める意識の度合いによて生じる可能性の方がはるかに大きいだろう。
つまりメディア(伝え方)がいくら発達したところで、その情報が本当に必要とすべき人に届くか届かないかを最終的に決定するのは、その個人の関心(危機意識と言ってもいいかもしれない)の強さでしかないのだと思う。
この一節は、「人は『
無関心』である(またはそれを装う)ことによって、必要な情報から遮断される」ということを実にうまく表現している。まさにこのことこそ、この国とその国民がここまで病んでしまっている問題の本質である。そして、高度情報化社会にあっても、その本質は何ら変わることがない、と教えてくれるのである。
KHOOさん、すばらしい記事をありがとう。みなさんも是非ご一読を。
<男女共同参画>同性愛者の人権、1票差で可決 宮崎・都城(毎日新聞)
[トピックス]都城市男女共同参画社会づくり条例案−−野村和代主幹に聞く /宮崎(毎日新聞)
さまざまな紆余曲折を経たようであるが、
性的少数者の人権尊重に踏み込んだことで注目された
都城市の男女共同参画条例案が可決された。
重要なのは二つめの引用記事であるが、「
男女共同参画」というパラダイムに関して、誤った認識を排除し、正しい知識を広めていくことが、いかに重要であるか、このQ&Aからもたいへんよくわかる。
私は、「男女共同参画」社会のあるべき姿について、こう考えている(なぜこう考えるのかは長くなるのでここでは省略させていただく)。
いろいろな価値観や特徴を持った人たちが、法や公序良俗に反しない範囲で、お互いの意思を尊重しながら義務を果たし、権利を行使することのできる社会。
女性差別の撤廃が急務であるとして特に「男女の違い」ばかり注目されがちな「男女共同参画」であるが、この「21世紀のパラダイム」が、もっと自然なかたちで定着していくためには、何よりひとりひとりの意識をあるべき方向に変えていくことこそがもっとも大切である。
都城市の「進んだ」条例は、その何よりの証拠である。
「夫も育児に責任持って」 若い成年男女の意識調査(共同通信)
児童手当の対象を拡大 政府、少子化対策で合意(共同通信)
若い世代の「
育児」に関する意識は、政府や財界が認識しているより、かなり大きく「夫婦で育児」型へと変化してきている。
それに対し、国の「
育児支援」策は、あくまで「
児童手当の拡大」等、いままでと変わらない「給付」中心の対策にとどまっている。ほかの
少子化対策とケタがひとつ違うことが、それを如実に示していると言えよう。
児童手当の増額と支給対象の拡大には好意的な意見も多いようだが、若い世代の意識に合わせていくことを考えると、いまの予算配分を続けていくことでは、今後さらなる「
共働き世帯の増加」が考えられる(参考にあげた中の「世帯の収入」に関する調査結果もその推測根拠となる)中、少子化対策としての有効性は疑問であると思わざるを得ない。むしろ、さらなる「
保育所増設」や「
幼稚園の
預かり保育の拡充」、および子育て世代の
働き方(
サービス残業や
裁量労働制による異常な
長時間勤務が、特に男性を中心に横行している)の変革こそ必要なのではないか。
(参考:
「家庭観」に対する調査結果−「第1回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)の概況」[厚生労働省])
独行法反対首都圏ネットワーク/ 国立大学長懇談会の概要について(速報)(
国立大学独立行政法人化の諸問題/国立大学長懇談会12/18の概要(速報)経由)
結論は1月に先送り 国立大の予算削減問題(共同通信)
・効率化で浮いた予算を教育研究の質向上につなげるのが法人化の趣旨なのに、吸い上げられては話にならない
・国が高等教育のグランドデザインをどうするのか、という問題を正面から提起すべきだ、との意見も出されたと聞く。
あまりにも情けなさすぎる。
国立大学は、国の
高等教育の根幹であり、その改革は、これから国が社会を支える若い人材をどう「教育」していくのか、また国立大学が行う先進的な
教育研究(それはこの国の社会にとっても役立つものが多いはずである)に対し、国がどうサポートしていくのか、が問われるものである。しかしながら、このていたらくは何か。
この議論、特に
財務省側から出てくる要求の内容から見ると、「国立大学は金を使いすぎだから、『
効率化係数』などを使って
経費削減に務めさせるべし」という考え方が改革をすすめていくに当たってのホンネである、としか考えられない。私は、国立大学の事務の効率化については、きちんとした見直しが必要だと思っているが、教育研究に必要な費用まで一律削減しろ、となれば、それは大学の存在意義を踏みにじる行為にほかならない。しかも『一定期間ごとに学生の納付金を増額』して、交付金減少分をまかなえ、というのだから、あきれるばかりである。
教育基本法の「改正」についても、「
愛国心」(=本来の意味からはずれて、この国をどうやって「戦争をする国」に変えていくか、という意味で使われていることに注意)をどう植えつけるか、ということ以外にはほとんどまともな「主張」が見られないこの国。義務教育での「ゆとり教育」策には大きな揺り戻しが見られたし、高等教育へのグランドデザインを作れ、といわれても、財界の主張をそのまま鵜呑みにして「これでどうか」というぐらいしかできないのではないか、という危惧が先に立つ。
「教育」についてのしっかりしたビジョンも描けないこの国の将来は、いったいどうなるのであろうか。
古紙抜き取りへ対策 来年、議会に条例案提出−−横浜市 /神奈川(毎日新聞)
集積場の廃棄物は法律上は「無主物」となり、ごみを出した市民にも、収集する自治体にも所有権がないとされる。条例案は、所有権が自治体にあることと、指定業者以外の回収を禁じることを明記した内容にする方針。近年、ごみ集積場から古紙の抜き取りが多発しているとして、東京都杉並区や大田区、埼玉県志木市、坂戸市などで同様の条例が制定された。
このような条例が制定される市区町村が増えていくのは、ある意味当然といえる。
古紙の
抜き取りの悪質さ加減が飛び抜けていて注目されるのであろうが、古紙だけではなく、
粗大ごみに関しても、各家庭から出るものを見て、お金になりそうなものを取り去っていくとおぼしき軽トラックをよく目撃する(事実、私の出したものが回収時間前になくなっていたことも!)
自治体にごみ処理を依頼する住民にとって、抜き取りをする者は、法律上の解釈と関係なく「ドロボー」であることは当然の意識であり、自治体がこのような「不届き者」を取り締まる条例を作成することは、分別してごみ(+処理費用)を出す住民を納得させるためにも必須のことである。
未制定の自治体におかれては、至急対応いただくよう、お願いするものである。